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永曆十五年(西元1661年)、鄭成功(國姓爺)はオランダに台湾を收復してもらった。そして、一府二県を設置した。赤崁を東都明京と承天府に変更し、二県の一つはオランダが設置した北路であり、天興県(現在の嘉義)と言われてた。もう一つはオランダが設置して、南路と言われた万年県(現在の鳳山)であり、過去の万年県も現在の高雄県の前身である。
康熙二十二年(1683年)、鄭克塽は清朝政府に投降した。台湾は正式的に清朝の地図に納入された。一府と三県を設置した。つまり台湾県、諸羅県と鳳山県である。その中に、鳳山県は興隆荘を管理していた(今の高雄県左営地区)。康熙四十三年(1704年)、鳳山県県長宋永清は城内の東南角に県政府を設立した。五十三年の時に管理区域が変わって、大竹里埤頭街(今の鳳山市)に変更した。
民国二十六年(1937年)、台湾は日本植民時代に入った。八年後、抗戦終了の民国三十四年(1945年)に祖国に返還された。復帰の初めに、国民政府は台湾行政長官公署を設置し、高雄州の接収管理委員会は主任委員の謝東閔がバトンタッチして、接収等の事務を処理していた。
民国三十六年、行政会議で台湾省行政長官公署の廃除を決議して、台湾省政府の設立が決めた。三十八年、台湾省各郷、鎮、市の行政区を再調整した。高雄県と屏東市を合併して、高雄、屏東二県に変えた。 |
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